作陶日記
平成21年5月30日       梅雨

 ここのところ天気が思わしくない。もう梅雨の季節か。

 この時期たまった洗濯物も困りものだが、焼物も乾きが悪くて困ってしまう。
 ロクロでひいたり、タタラ作りした器は適当な硬さになってから、高台やその他の削りを施さなければならない。空気が乾燥している時期はむろと呼ばれる、湿気をためた押入れ風の部屋でもどんどん乾いていってしまうが、こう湿気があってはどうにもならない。

 ゆっくりと乾燥にもっていきたい大物の作品にはもってこいで、その点はいいが急いでいるとそうゆう余裕もなく、早く削って、乾燥させて、素焼きに入れてと気は焦るばかり・・・。

 焼物は季節や天気でかなり左右されるところがあり、とんとん拍子で仕事が進むと、仕事場に作品がよどむこともなくすっきりと片付いていく。

 しかしこの時期は乾燥を待つ作品が棚いっぱいに並び、天日干しもままならず、窯場から仕事場から果ては展示室まで、製作中やら仕上げを終え乾燥待ちの器などが所狭しと並び、作業にも支障をきたしている。
そんな器を右へ左へと場所換えしながら、スペースを作り、釉かけやら絵付けなどこなしていかなければならない。何とも困った状況だ。

早くお日様が連日照りつける夏にならないかと待ち遠しいが、そうなれば今度は、また新たな暑さという別の問題が出てきて悩みそうだ。


平成19年1月3日      一期一会

 今年も一日に届いた年賀状を見ながら、お雑煮を食べた。

 元旦に届くようにちゃんと準備怠り無く、もらった人の喜ぶ顔を思い浮かべながら、一枚一枚書き進めていく、といったことなどまったくと言って無かった自分にとって年末は毎年つらかった。何度か年が明けてからも書いているという悲惨なことがあったのだ。

 そんなこともあって、去年の暮れは早々に準備して出したので、少しは気持ちに余裕があった。

 人生長く生きていると、年賀状だけのお付き合いの方も増えてきている。何度か退職や引越しを繰り返してきたせいもあるかも知れない。一年一回だけの短い言葉でつながった関係も、それはそれでいいのだが、あまりにも会わない年数が増えると、気のきいた言葉をさがしても結局、『お元気ですか』としか書けなくなるのが少し寂しい。

 いただく賀状の中には、旅先で一回しか会っていないのに毎年律儀にくださる方もある。引越しや結婚のお知らせまでいただくとこちらも出さずにはいられない。

 一期一会という意味は、いま会う人は人生でこの瞬間しか会えないかもしれないから、その出会いを大切にしなければならないと言うことだと思うが、こういう関係はどうなるのか。
 人は人生の中でいったいどれだけの人に会うのだろう。人見知りのはげしい私でさえ、年賀状の枚数はそれなりに増えてきたのだから、一般の人はどうだろうか。出会いがあれば、別れも付きもので音信不通になった人も多い。

 夜中にお酒を飲みながら、ふとしたきっかけでそんな人のことを考えることがある。いったいどこでどんな人生を生きているのか。中にはもう一度会って、ぜひ色々なことを話してみたいと思う人もいるが、そんなに簡単には実現できそうにもない。一期一会という言葉が頭をよぎるのはそんな時なのだ。


平成18年12月15日       紅葉

 今年の紅葉は長かった。

 先月末どうしても見たい美術展が2つほどあったので、重い腰を上げ、京都へと出かけた。前回も書いたが、暖かい秋のお陰でこの時期まで紅葉がずれ込み、今真っ盛りかなと思わせるきれいさだった。

 考えると10数年前、京都の紅葉は、11月上旬ぐらいからもう見頃だった様な気がする。毎年遅くなってきている印象がある。

 しかし、京都の紅葉と言っただけでありがたみが違ってくるのは不思議なものだ。自宅のもみじもそれなりに色づいてきれいはきれいなのだが、立派なお庭や、神社、仏閣をバックにした目の覚めるような紅葉は実にきれいで、やはり京都だな思わせる。

 そこで人間考えることは同じなようで、全国から観光客が押し寄せることになる。テレビのCMのように、ひっそりと苔むしたお庭を優雅に歩く自分を想像して出掛けると、押すな押すなの大行列。皆さん一様にデジカメや携帯のカメラで写真を取りまくっている。

 自分も負けじと、他人の頭越しにカメラをかまえ、少しでもいい写真をと頑張るが、かなり大変な作業で、あきらめのいい性格も手伝って、数枚撮ったところでカメラをしまい、ため息をついた。

 一年中、観光でにぎわう京都とは言え、この混みようは尋常ではない。錦市場へ回ると、こちらも地元の人よりあきらかに観光客で混みあっている。

 次の日は2つの美術館を巡るが、こちらは混みあう事もなく、ゆったりとした気分で見ることができた。そのひとつの滋賀県にあるM美術館は、年に数回の企画展がかなり見ごたえのある展示で、いつも期待を裏切らない。毎回混みあう東京の美術展とは大違いで、やっぱりいい絵や工芸はじっくりと鑑賞できてこそ、自分の身になるような気がする。

 同じ風景や、物、あるいは人生も、通りすぎる速さで味わいが違ってくるかも知れない。もっとゆったりと過ごして行きたいとしみじみと感じた2日間の旅だった。


平成18年12月1日(金)    薪集め

 
今年は温暖化の影響か、暖かい秋が続いていたが、ここに来てやっと冬らしい寒さに向かってきている。
 去年は雪こそ積もることは無かったが、寒さは例年並で厳しい日が続いた。加えて、灯油の値上がりで懐の方もきびしかった。

 そんな訳で、急遽思いついたのが薪ストーブだ。どのくらいの暖かさか半信半疑だったが、その前の冬から使い始めた友人に聞くと、思ったよりも暖かく、お湯も沸かせたり料理にと便利に使っているらしい。

 11月も半ばを過ぎていたが、さっそくホームセンターで安い薪ストーブを購入した。そのほかにも煙突やら、部品やらを注文したりして仕事場に設置したのだが中々大変だった。
 漆喰壁に穴を開けることもできないので、引き違いの扉を少し開け、そこから煙突を出すことにして一件落着したが、最大の問題は、薪の調達だった。ホームセンターにはストーブ用の薪が売られているが、そんなもの使っていると灯油よりも高いものになってしまう。

 そこで考えついたのが、町の処分場にもらいにいくことだ。町内で切られた木が集められ、チップにして処分されるが、聞くと欲しければいくらでも持っていって良いとのこと。処分するにもお金がかかるらしく、持っていってもらえればということらしい。こちらとしてもありがたい。

 売られている薪には及ばないが、手首くらいの枝から、直径30センチはあろうかという木までさまざまで、せっせと軽トラックに積んでは往復した。家では、実家にあった電動チェーンソーで40センチくらいの長さの輪切りにしていく。

 かなりたくさんの薪が集まったが、大半が生木で、乾燥が完全なものはそんなに無い。とりあえず乾いていそうなものをストーブに入れ、火を点けてみると、うまく燃え上がるまで苦労したが何とか使える。暖かさも思ったより暖かい。

 それからは、会う人たちに薪の情報を聞いたり、家の解体中の現場から柱などもらったりしてその冬分の薪は確保した。燃やせない生木は来シーズン用にと積み上げていった。

 お陰で今年は良く乾いた薪を気持ちよく燃やせ、苦労が報われたと、一人喜んでいる。飼い犬もしっかりとストーブの前に陣取り、動かない。ご主人様の苦労はどこ吹く風でぬくぬくと居眠りしている。

 今年は早めに薪集めを始め、来年用を蓄えている。薪ストーブは3回暖まると言われる。薪集めや薪割りで体が暖まり、実際に火にあたって暖まり、ゆらめく火を見て心も暖まると言うことらしい。うまく言ったものだ。

 私なんかは、小割りにされた薪の積みあがった山ができるたびに、貯金が増えていくようなうれしさがあり、懐も暖まってくる。つくづく貧乏性の自分が可笑しくなった。


平成18年1月15日(日)    ちゃぶ台

 子供の頃、年末年始というと子供にとっても大人にとっても一大イベントだった。正月の料理の準備や障子の張替えなどの掃除全般、それらを家族全員で手分けし片付けていったものだ。

 実家は本家ということもあり、年が明けると親戚一同がお年始の挨拶に集まる。母はそのための料理に追われていた。皆集まると普段使っている小さなコタツでは足りないので、和室の座卓もくっつけて10数人の場をつくった。

 広いテーブルの上に並んだ料理やお酒、飲み物など見ると、これから始まる楽しいひと時を考え、子供ながらわくわくした覚えがある。

 私が小学生ぐらいの小さいときはまだ、うちではちゃぶ台という折りたたみ式の足のものを使っていた。ちゃぶ台での夕食をとったあとは片付け
、そこに布団を敷いて寝た。夏の暑い日の夕食は縁側にちゃぶ台を持ち出して食べたりもした。そんなに温度差があるわけでは無いが気分的に涼しく感じられたし、いつもと違ってなんか楽しかった。狭いながらも楽しい我家と言った感じである。

 いま世間は昭和ブームらしい。昨年見た『オールウェイズ・3丁目の夕日』と言う映画は30年代生まれの自分には懐かしく面白かった。東京タワーが建設される時代の映画の中でも、もちろんちゃぶ台は活躍していた。昔の家は本当にコンパクトに出来ていたのだ。

 よく行く骨董市でも、たまにちゃぶ台を見つけるがこんなに小さかったかと思うぐらいのサイズでよくこんなもので大人、子供大勢がご飯を食べていたなと思う。どういうふうに食事を食べていたのか?なかなか考えても思い出せない。

 多分、食生活がいまより貧しかった時代だから、食事の品数も少なく、あのぐらいのサイズで事足りたのかもしれない。家族があの小さなちゃぶ台を囲んで顔をつき合わせ、ご飯を食べている場面を思うと、なんかほほえましく暖かい気持ちになってくるのだった。


8月24日(水)   五感

 人間の五感は大したものだ。

 熟練の寿司職人のにぎるシャリは、米粒何粒かの誤差で握り分けることができるそうだし、大型の天体望遠鏡のレンズも、最後の仕上げは人間の手の感覚が頼りだそうだ。

 かく言う私も、デジタル温度計に頼らずに火の色を見ただけで5℃ぐらいの誤差で窯の中の温度が分かるようになってきた。と言いたいのは山々だがまったくダメで、温度計とにらめっこする毎日である。

 陶芸の世界に入ってから、いいかげん年月が経つのにこの有様で恥ずかしいが、そんなに簡単なことではない。それでも温度ごとの火の色の具合は少しは分かるようになった。

 いつだったか目の不自由な子供たちの作る陶芸作品を見たことがあるが、なかなか面白い造形で、触感だけで作ったのにすばらしい出来だった。視力が無くなった分、手の感覚が研ぎ澄まされた結果だろうが人間の可能性は無限だ。
 前にモデラーと言う職業についていたが、車の原寸モデルの表面の凹凸で、目で見ても分からない微細なものは、手のひらでなでて確認していた。

 陶芸も同じで目と手を使う作業が多い。しかし、最後の焼きの段階だけは実際のものを目で見て確認できないもどかしさがある。
 瀬戸の窯焼き専門の人だったか、一度でいいから焼いている窯の中に入って、器の焼けるのを自分の目で見てみたいと言っているのを本で読んだことがある。もちろんそんなことは無理だが、陶芸をやっていればその気持ちは分かる。
 冷めた時の器の色合いまでは無理としても、釉の溶け具合を見ながら窯の火をとめるタイミングをはかれたら、さぞ失敗も少なくなるだろう。

 でもそんなことをしたら、自分の未熟さを窯のせいにできなくなってしまいそうで、痛し痒しというところである。やはり、窯の神様にお任せするにこしたことはなさそうだ。


5月5日(木)   あるとこ使い

 
先日、新築のお宅で行われた群馬ユニットの体験祭が終了した。

 
施主のご好意で入居前の家をお借りして、お花のアレンジメントやこま犬作り、ぐい呑み一輪挿し作り、瓦表札作り、家作りの講義など様々なワーク・ショップが行われ好評だった。

 新築のまだ引越しの荷物の入らない部屋は、本当にすっきりとして自分の住まいのなんと雑然としたことかと、比べるとため息が出てしまう。
 陶芸という職業柄、道具や原料、粘土、陶芸関係の本やもちろん焼けた器まで持ち物の多いこと、捨てようにも捨てられず溜まっていく一方である。

 京都には昔から「陶芸のあるとこ使い」と言う言葉があるそうだ。焼物屋はあればあるだけ場所を使ってしまうと言うことらしい。確かに気をつけていないと、いつの間にかそこらじゅうビニールに包まれた使いかけの粘土のかたまりやら原料の袋、釉薬の入ったバケツ等、仕事するにも支障をきたすほどに増えてくる。

 年に何度か材料を仕入れに多治見、瀬戸に行っているのだが、欲しい原料を見るとすぐに使いもしないのに買ってしまう。木工の作家の人も木を買うときが一番楽しいときだといわれていたが陶芸も同じだ。そんなこんなでどんどん場所は狭くなるばかり。

 あまりにも目に余る状態になるとと言うか、足の踏み場が無くなったり、来客や自宅での教室となるとしかたなく片付けることになる。
 しかし、片付けた後2〜3日はきれいだが、あっと言う間にまた元の状態に戻ってしまう。仕事の忙しさのせいにしているが、その時々に使ったものを片付けていくしか方法は無いようである。

 それでもそんな時は、「陶芸はあるとこ使いですからねー!」などと言い訳がましく説明して、来た人には納得してもらっている。なんとも便利なことばである。


3月8日(火)   春一番
 
 春一番が吹いたのは2週間も前になるだろうか。その後も、寒い日が続いていたが昨日、今日とやっと春の陽気になっている。

 最近、異常気象が言われて久しい。天気予報が外れ、大雪になったり、昨年の多数の台風の来襲や世界各地での洪水、寒波など、これは気象に関係ないかも知れないが地震が多いのも気になる。

 春一番とは災害の風らしい。この時期に吹く風は昔から多くの災害を起こしてきたそうで、風には気を付けろという意味があるらしい。字だけを見ると、暖かい春を知らせる風で災害とは無縁のような気がする。キャンディーズが歌った曲を思い出すと言えば年が分かってしまうが私だけではないはずだ。

 テレビの予報官の話をなんとなくイメージが湧かずにぼーっと聞き流していたが、その後にそのことを思い知らされることになった。 

 春一番が吹いた日、出先から帰ると、女房が少し興奮気味に家の前の古墳の大木が倒れたと言う。驚いて見に行くと確かに今朝まであった木立が少し空いている。5世紀頃に作られたという前方後円墳はこの時期には木々が葉を落とし、その独特の形が分かるようになるが、丁度その中央に杉の二抱えもある長さ15mの大木が横たわっている。根元からポッキリという感じである。
 
 今日の風はかなりの突風というような吹きっぷりだったがまさかこんなことになるとは。やはり、見に来ていた近所の年配の方に聞くと、近くの神社の大杉も地上1.5mぐらいで折れ、社務所の軒をなでるように倒れてしまったとのこと。風の力のすさまじさに驚いた。

 しかし、もっとショックだったのは、その後倒れた大杉をかたずける際にその他の大木も危ないと言う理由だけで何本か切ってしまったことだ。100年以上も生きてきた木を人間の都合であっという間に切ってしまうとは。

 人間が豊かな生活のために生み出した異常気象が今度は自分たちを苦しめている。でも相変わらず、ばかげたことをやっているのが現状だ。


1月27日(木)  シーサー? こま犬?
 
 こま犬をうちの工房で見た人の第一声は決まってこうだ。

「あ、これ何て言うんでしたっけ?」、「そうそう、沖縄のシーサーですよね。かわいいなー!」
 
 インターネットで調べてみるとシーサーというのは家の守り神の役目を持ち、邪気が入り込まないように、鬼門の方角の屋根の上や、門柱の上に昔から置かれてきたらしい。

沖縄特有のしっくいで瓦をとめた赤瓦の屋根の上でそれは誇らしげに、あるいは少しユーモラスな姿をしてにらみをきかしている

 もともとその家の瓦をふいた屋根しっくい職人が、サービスで瓦をかき割りしっくいでつなぎ合わせ作って据え付けたそうだ。 同じ職人のふいた屋根はそのシーサーですぐ分かる。 自由な造形だから個性が出るのだろう。
写真は骨董市で見つけたシーサー、古いものではなく若い作家が現在作っているもの。 瓦としっくいを使い、その上に色付けしてある。

 一方、私たちの作るこま犬は、美濃、瀬戸で昔から作られてきた陶器、磁器製のもの。 神社に願い事を託し、「あ、うん」の一対で奉納されたもののようで、陶工がロクロなどをつかいこれまた自由に好き勝手に作っている。

 瀬戸市にある愛知県陶磁資料館にはこま犬館というこま犬だけを展示した建物があって、様々なこま犬が飾られ、見ているだけでも楽しくなってくる。

 二つとも、そのルーツをたどると古代オリエントにまで遡り、 シルクロードを通り、中国、朝鮮などを経由して日本にもたらされたそうだ。エジプトのスフィンクスもお仲間かもしれない。
 こま犬とシーサー、知名度から言えばシーサーのほうが最近の沖縄ブームも手伝って上のようだ。 こま犬と聞くと神社の左右に据えられた石作りのものを思い浮かべる人が多い。

 今年は陶磁のこま犬の知名度を上げ、見て楽しむだけでなく、作る楽しさも伝えていきたい。


平成17年1月13日(木)  寒風呂


 
新年は雪かきから始まった。群馬に来て10年目を迎えようとしている。

 甘楽町は群馬県の南部に位置しているので、雪が降るのは多くてひと冬に2、3回のものだ。 積もることも少なく、日中には融けてしまう。
去年もそんなに降ることははなかった。天気予報では今年は暖冬のはずだが暮れの30日から31日にかけ、10〜15センチは積もっただろうか。年があけてからも寒さはきびしくなるばかりだ。

 「陶芸は冬は冷たくて大変ですね。」とよく人から言われる。確かに土は冷たく、釉薬の水もかき混ぜようとすると氷のように冷たく数分と手を入れていられない。

 ロクロ作りは別名「水引き」と言うように、土に水を付けながら、ロクロの回転による遠心力を使ってかたちを作っていく。 土が濡れて光った状態でないとうまく土が伸びてくれない。 そのとき使う手水は、昔冬の間は寒風呂というもので暖めていたそうだ。

 実際に使っているのは見たことはないが今も瀬戸の道具屋さんでは売られている。使ってみたいが、これが結構値段が高い。 檜でできた楕円形のお風呂を、その形のままに小さくしたようなものだ。

片側の蓋をした板に銅製の筒が取り付けられ、その中に炭火を入れて使う。昔の職人は冬の寒い日に、この暖かいお湯に手をひたして仕事をするのが楽しみだったようだ。

 今では湯沸しからすぐにお湯も出せるし、ストーブで仕事場も暖かいので昔ほどの苦労はなくなった。それでも水仕事が多いのに変わりはなく、冬の作業はつらい。 冬本番を前にもう春の暖かさが待ち遠しくなっている。


12月12日(日)  骨董市

 久しぶりの骨董市に行ってみる。

 今年は月始めの土曜日にある骨董市の日が、ことごとく用事でつぶれ6ヶ月ぶりくらいになるだろうか。 桐生の天満宮で開かれるこの市は、60〜70店舗ぐらいあり、関東でも多くの店が出ることで知られている。

 最近は骨董ブームなのか人出も毎回多く、皆それぞれのお目当てのモノを楽しそうに探している。古民具骨董市と銘打っているように、並べられているものは着物、陶磁器、おもちゃから、本、家具、建具とあらゆるものが揃う。
 中には、これは本当に売り物になるのかと、首をかしげたくなるものも含まれている。まるで家の押入れや物置の奥から、何でもいいから持ってきたというようなモノでも、「いくら?」と聞くと、それなりの骨董市値段になって鎮座しているから面白い。陶磁器の値段もピンからキリまでという感じで数百円から、上は何万とするものまで店主の説明にも力が入る。

 そんな話を適当に聞き流しながら器の裏を返すと、よくカタカナの文字を並べたシールが貼ってあることがある。どうも骨董業者仲間での金額の符号らしいのだが実際に主人に確かめたわけではないので定かではない。
 前に勤めていた窯元の社長が問屋の主人と話す時にもやはり同じようなことがあった。
 「このうつわいくらぐらいかな?」   「うーん。このサイズならりんならかな。」  りんならはちょっと厳しいな。」

 
このりんならというのは、陶磁器業者の昔からの金額の符号なのだ。
ふん(分)、りん(厘)、かん(貫)、きん(斤)、りょう(量)、けん(間)、じょう(丈)、しゃく(尺)、すん(寸)と1、2、3・・・・9まで、0はまる、同じ数字が並ぶとならと呼ぶと、後で社長が教えてくれた。                りんならは2200円のことだった。同じりんならでも品物によっては220円になったり、22,000円にもなる、当事者同士は分かっているから問題ない。他人に金額を知られたくないからこういう言葉が作られたのだろう。 

 骨董の世界も、値段がはじめから分かると足元を見られ、値切られるのを恐れてのことか。してみるとあのカナ文字も客を見て、何千円になったり、何万円になったりとその姿を変えているかも知れない。


12月 1日(水)  ホームページ開設

まだまだ未完成ですがようやくホームページ開設の運びとなりました。作成にあたっていただいた片平さんには大変お世話になりました。これから見やすいHPを目指し、内容の充実につとめたいと思います。ぜひご覧下さい。